お気に召すまま

たかが人生 狂おしくBurning love

最後の春

最後の滝沢歌舞伎に行ってきました。


毎年毎年、飽きるほど通った演舞場。
当時シフト制の仕事をしていた私は休みのたびに観劇予定をぶち込み、観劇予定のない日でも演舞場に行けば誰かしらが会場にいるので観劇前友達を見送ったり、終演後に合流して飲みに行ったりと、新橋演舞場で過ごす春は「自担と友達にふらっと会いに行ける楽しい現場期間」だった。

数年前とは打って変わってすっかりプレミアチケットとなってしまった滝沢歌舞伎を当然昔のような頻度で行けるわけもなく、ましてや最後ともあってどうなるかと思っていましたが、ここで自名義が息を吹き返しなんとか入ることが出来ました。最後の最後のチケットに自分の名前が印字されているの、結構嬉しいですね。

当たり前に行けすぎていたので全然撮らなかった写真だって、ついつい撮っちゃったよ。





これまでの記事とかSNSを見てくださってる方はなんとなく感じていたかもしれませんが、私のすのーまんへの熱量は正味前ほどのもどではなくなっている。

別に阿部くんのことを嫌いになったわけではない。SnowManのことも別に嫌いじゃない。何なら今まで通り全然現場も行ってるしカウコンも阿部くんの団扇持って入った。嫌いじゃないって偉そうな書き方だね。

でも、どうしたって心が付いていかないのだ。今まで見ていた景色や環境が一変しすぎて、私はそれに上手く適応出来なかった。私が悪い。

写真を撮りながらこの滝沢歌舞伎って書かれた提灯見るのも人生で最後なんだなーと思った。ほんのり寂しかった。




1年ぶりの演舞場の座席はいつも通りふかふかで、座席がちょっと深くて脚がきゅうくつだった。

2階席だったので前のめりにならないようにと思いながらも、左右席だったのでマジで見えないところは少し首を倒しながら見た。
前の記事で書いた2021年の初日も左右席で、隣の親切な渡辺担のお姉さんが自分の頭で見えなくなってないか気を遣ってくれつつ「全然見えないですね笑」って笑いあったことを思い出した。お姉さん元気かな。勇気がなくて声を掛けれなかったけど、友達になりたかったな。


近年SnowManを見える機会は演舞場以外もう最小がNHKホール(少年収)とかだったので、演舞場で見るとかなり近くて新鮮に驚いた。
もう定番曲になりつつあるひらりと桜でSnowManが出てきて、後ろにでかでかと「ZERO」と書かれた謎の三角の舞台装置のダサさに若干ずっこけながら折角なので久しぶりにSnowManひとりひとりをじっくり見た。

ああ阿部くんのキラキラしたアイドルスマイルに敵うものないな、とか、やっぱり宮舘くんのキレと柔らかさの同居した踊り方だいすきなんだよなあ〜とか、ひかるの抜き感が程よくて相変わらず魅せるのが上手な人だな、とか、見てるうちに色々思い出して涙が出た。

前はこうして、みんなの事を俯瞰しながらよく見ていた。回数入っていたこともあるけど、この子はどんな踊り方をするんだろうとか、だからこそ見えて来る阿部くんの良さも悪さも、SnowManというグループがどんなメンバーで出来ているのか結構見ていた。前にブログで「最初は阿部くんを見に行くためにSnowManの現場に行ってるスタンスだった」的なことを書いたと思うんだけど、今思えばなんだかんだグループへの関心がまだ高かったんだとも思う。

この距離でみんなの踊り方とか表情とか、じっくり見れるのもきっと最後なんだろう。

「敵わない」とか「やっぱり」「相変わらず」とか思っているあたり、やっぱり私がしていることは懐古でしかなくて、いつまでも昔の、彼らをもう少し身近に感じられていた思い出から抜け出せないでいるのかもしれない。
でも、もうそれでいいんだと思う。それはそれで私にしかない、大切なな記憶なことに変わりはない。


そんな事を考えていたら春の踊りが流れてきた。

もう「ZERO」と名乗りを変えてから、聴ける日が来るなんて思ってなかった。昔のことはもう、決して振り返っていかないものだと思っていたから。(終わらないMemorys の初披露はそういう意味だと捉えていたので)

勢いと自信の権化みたいなイントロと音ハメの気持ちいい振り。そうそうこれだよ滝沢歌舞伎!!!!ああここで、昔はアクロバットしてた。SnowManってアクロバット売りのグループだったよそういえば。ズッズッターーンで奥から飛んでくる元社長。みんなそこにはいないはずのタッキーの幻影を、ちゃんと目で追っていた。彼らの中では、引き継いだってやっぱり“滝沢”歌舞伎なのだ。そうしていた時代を忘れずにいてくれたことが、嬉しかった。

そのままいにしえに続く。懐かしい。懐かしいすぎる。たかが5年前とかの話なのに当時は4〜5日に一回くらい聴いていたから、尚更懐かしくて卒倒しそうになった。上品で日本らしい優美さがあるのに、ちゃんと我々が好きなジャニーズらしいポップスの要素が組まれていて何より歌詞がめちゃくちゃタッキーっぽい。なんて形容していいのかわからないけどタッキー&翼の楽曲特有の香りがする。大好きな曲。


私の知ってる春だった。大好きで楽しくて、毎日浮かれていたあの季節。少しずつ近付いてくる春の足並みは、もうすぐ阿部くんに会えるってことの知らせでもあった。


思えば滝沢歌舞伎はいろんな始まりだった。

阿部くんの存在を認識したのも、Jr.担の世界に足を踏み入れたことも、今も仲良くしてくれている友達と初めて会ったのも、取引きっかけで友達が出来たことも、オタクとしてのいろはを叩き込まれたのも、初めて手紙を劇場に預けたのも、やたら銀座エリアの土地勘がついたのも、全部、ここが始まりだった。
本当はそれだけじゃなくて、その後の自分の仕事のモチベーションだったり、物事への価値観だったり、人付き合いだったり。阿部くんのオタクをやっていたことは、その後オタク以外の、自分の生活や人生観の礎になってる部分が結構大きかったりします。割愛しますが。

6年前、今更Jr.担なんて‥と思いながら足を踏み入れたことが、思えば私の社会人生活の大きな支えになっていました。阿部くんがいたから頑張れたこと、数えきれないほどあるんだよ。


SnowManという名前をもらった彼らと同じように、私のいろんな始まりも滝沢歌舞伎が作ってくれていた。



そんな大事なことに冒頭3曲くらいで気付いてしまったもんなので、この時点でかなり号泣していた。
結果的に人生に大きなきっかけを作ってくれた作品をもう二度と生で見れないんだと思ったら、私の人生のひとつのデカい青春が終わるような気がした。

周りを見たら数人同じようになってる人がいて、何とかここまで残ってなんとかSnowManを追いかけてきた層が垣間見えた気がした。心の中でちょっと握手した。


たった6年で、あまりにも変わった。


私が降りてからクリエ当日券並びの最高記録を更新して卒業したり、全員舞台やドラマの大きい個人仕事が急にもらえたり、突然の増員からあっという間にデビュー、コロナで出来なかったデビューコン、人気爆発、タッキーは退所、今思えば毎年何かしらあった。SnowManを取り巻く環境は目まぐるしく変化していた。ジャニーズ事務所そのものも変わった。一緒に連番してた友達は皆降りていって多分もう半分も残っていない。正直仕方ないと思う。

でも、阿部くんやSnowManのメンバーだけは、いい意味で全然変わらずにいてくれた。

思えばSnowManというグループの扱われ方の変化にはいろんな気持ちになったけど、阿部くん自身に対して嫌な思いを抱いた事って、一度だってなかったのだ。

阿部くんって本当に変わらないんです。
少なくとも私が追い始めた17年以降、これまで自ら端に行ったり積極的にMC参加しなかったりした(これは自分の目で見たわけではなくすの担の諸先輩方の見解の総括です)阿部くんが、やっぱり気象予報士とったくらいかな?いつでも前向きで、無理でしょってことも自信を持って口にして、それを全部実現させてきた。
いつ見てもキラキラした笑顔で、ブレなくて、誰よりもSnowManを誇っていた。デビュー前からいつテレビを点けてもSnowManのメンバーが出てる未来があったら嬉しいって言ってた。2D2Dも初日もひとりだけ泣かずに堂々としてたのは多分だけど今できるSnowManをやりきった自信があったからな気がしていて、それでも自分がコロナでSnowManの初めてのツアーに影響を出しそうになったときには涙を流す人なんです。本当にブレなくて、ずっと尊敬出来る、恰好良い人です。
私は多分、私の持ってないものを沢山持ってる阿部くんに、ずっと憧れてたんだと思う。


やっぱり阿部くんは、私にとってスーパーアイドルで、その気持ちだけは6年前と全然変わりません。


それに同じ時代に同じものを好きになって、いろんな過渡を一緒に過ごして、嬉しいこともやるせないことも嫌で辛くてなんで好きでやってることでこんな想いしなくちゃいけないんだよって苦しみも皆とおんなじように味わってきたことって、どうしても私にとっては青春としか言いようがなくて、どうしても大切で大事で。

今は降りててもそういう体験や思いを共有できる友達が沢山出来たことは、阿部くんに感謝する他ないのです。




LOVEのときに絶対3階席や左右席まで目線を届ける阿部くんが大好きで、それを久しぶりに思い出せて良かった。サビの振り付けを最初から踊っているのはやっぱりさっき懐かしさに震えていた数人で、隣の着物を着た可愛いお嬢さんたちや他のお客さんも彼らを見よう見真似で踊っていた。これでいいんだと思う。これからどうか、末永くSnowManを応援してくれることを静かに祈った。





これからも現場には行く。ドームもそこそこ確保出来てしまったし、阿部くんのことはずっと好きでいたい。
好きでいるために、好きなように応援することが今の私にはベストのように思う。


最近気が付いたけど、どこまで突き詰めたって「趣味」なのだ。

そこに気持ちが追いつけなくなって悲しい想いをする必要も、逆に例えばスケジュールやお金が思うように確保出来なくてどうして周りみたいに応援できないんだと悔しい想いをする必要も、極論、本当はない。


自分の気持ちを俯瞰することは本当に難しいから、せめて何かしら無理をしていることに自分で気が付いたら少し離れるのだって手だ。

離れた期間がオタクとしてマイナスなると思うかもしれないけど、そこでもっと大事なことや、逆にどんなところが好きだったか思い出せる日が来るので、全然マイナスなんかじゃない。こうして私も改めて阿部くんの好きなところを思い出せるきっかけになったのだから。
十分すぎる愛情を注がれているグループだから、好きな気持ちがあるだけで、それはきっと彼らにとって嬉しいことだと思う。思いたい。


千穐楽のライビュのチケットはアラームかけたのにボケっとしてたら4分くらい出遅れて普通に取り逃がした。

昔ならこんなこと絶対しなかったし悔やんで死にそうになって意地でもチケット探してたけど、今は留守番してみんなの感想を楽しみにしながら自分の人生のことをやっている。これでよかったんだと思う。



阿部くん、最後の春を楽しんでね!大好きなSnowManを形作った滝沢歌舞伎、悔いのないように舞って下さい。

今までのSnowManも、明日からのSnowManも、全部大切で大事なものでありますように。滝沢歌舞伎ZEROFINAL千穐楽おめでとうございます。




春の踊りは、よおいやさ!