お気に召すまま

たかが人生 狂おしくBurning love

憧れの終着点に着くまで 〜SnowMan、阿部亮平くんへの祝辞〜

 

※この記事を読んで頂くにあたって

・これはあくまで2017年から阿部くん、SnowManを追い始めた新規の書いたものだということを念頭に読んで頂ければ幸いです。それ以前の事はすの担10年戦士のお友達に校閲をしてもらいつつ書いていますが、解釈と事実にズレが生じている場合があるかもしれません。

・阿部担として書いた記事ですが、他のメンバーを下げる意味で書いた部分は一切ありません。もしそのように取れる文脈があったとしても、そのような意図で書いているつもりがない事はご理解頂けますと幸いです。

・全ては自己満なので支離滅裂っぷりは許して欲しいですの〜

・増員についても触れていますので、この時点でモヤる可能性がありそうな方は今のうちにブラウザを閉じる事をオススメします。

・全ての事象につき、誰かの事を故意に傷付けるような書き方をしないよう最大限配慮をした上で書いたつもりですが、いろんな意見や考え方があるかと思います。全てはあくまで1個人の意見ですので、ご自身のご判断で読み進めて下さい。不快に思っても石投げないでお願い

 ・思うがままに熱く書いたらすげ〜〜〜〜長くなっちゃったビックリ〜〜〜〜!!全然読み返す気起きない〜〜〜〜〜セルフ1万文字インタビューです。(マジで約1万文字あります)暇な時に片手間で読んで下さい

 

 

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自担である阿部亮平くんが所属するSnowManのCDデビューが決まった。

グループを結成してからデビューまでの期間、平均年齢、また同期の深澤くんと合わせて入所からデビューまでにかかった年月の最長記録を塗り替えて。

 

まずは本当に本当におめでとう!!!!!!!!!!!!!!!

 

ここまでいろんな事があったね。長い道のりだったね。よく頑張ったね。

グループでも個人でも、厳しい状況が何度もあった。周りと比べたらものすごく遠回りだったかもしれない。それでも事務所に所属し続けて、どんな立ち位置でも笑顔でステージに立ち続け、自分のやりたい事も全うして、最後までデビューという夢を追い続けた。そしてそれを見事叶えて見せた。

この事実はきっと沢山の人に勇気と希望に与えるし、いろんな人の励みになるよ絶対。

 

 

そんな今日2019年8月12日は阿部くんがジャニーズ事務所に入所してぴったり15周年の記念日です。こちらもおめでとう。15年間、アイドルでい続けてくれて本当にありがとう。

 

ずっと書いてみたかったはてなブログ。こんな素敵なタイミングで初投稿が出来るなんて嬉しいなあ。阿部くんありがとう。

今回は阿部くんがデビューに至るまでの15年の記録と、私が見てきたほんの2年と少しの記憶を擦り合わせて、これまでの事を色々を振り返ってみようと思う。多分この気持ちでこの内容を書けるのは熱意も含めて今だけだと思うので。

 

 

 

 1.友人越しに見ていたMis Snow Man

 

阿部くんがジャニーズに入所したのはぴったり15年前の今日、2004年8月12日。

当初グループに入れないどころか雑誌にも全然載れなかった、要するに干されていた阿部くんがやっと掴んだチャンスは約4年半後、当時Jr.BOYSと呼ばれる変動の激しい不安定な括りに所属していたジュニアを中心に2009年1月結成にされたMis Snow Manのメンバーに選ばれたことだった。

 

中高の友人が渡辺担だったこともあり(ちなみに現役)、当時ちょくちょく見ていた少年倶楽部に出ていたジャニーズJr.の中で、実は比較的みすのの顔と名前は早く覚えていた。当時関東ジュニアでグループとして安定していたのはえびキスQ?くらいで、ほぼ個人戦に等しかったこの時代のジャニーズJr.の中で今後も継続そうなタイプのグループで、映画の主演までやっていたくらいだから割と推されているのかな、と当時はぼんやり思っていた。

 

 

私がみすのを認識し始めたその少しあとだった。センターに立っていたメンバー2人が笑っていいともの青年隊に抜擢された。気付いたらnoon boyzというデュオ名が付いていて、少年倶楽部でも2人で歌っていた。雑誌を見るとMis Snow Manとは別のページに載っていた。事実上の脱退だった。

 

 

 

 

 センターにいた2人の脱退を受け、当時すの担じゃない私は俯瞰的に見て、本当に本当に失礼なことに「このグループ(のちのSnowManとなる6人)はもう先がないんじゃないか」と思ってしまったんです。

 

 

 

 

私はそこからしばらく少年倶楽部を見なくなり、アイドル誌もKinKi*1がとっくにレギュラーを卒業していたため徐々に読まなくなってジャニーズJr.への知識はそこで止まっていた。 

その友達とは仲が良くて卒業後も連絡を取りよく遊んでいたので、なんとなくグループの生存確認は出来ていた。なんとなく誰も辞めていないのもわかった。

 

 

 

 

 

 

今思うとそれがどれだけ奇跡的な事だったのか、身に染みてわかる。

 

  

 

 

 

まずnoon boyzが結成される2ヶ月前、阿部くんは大学受験による半年間の休業に入っていた。他のメンバーにとってもファンにとってもグループを組んでいるもののジャニーズJr.という不安定な立ち位置の中、個人的な将来にまつわる休業は本当に不安だったと思う。(もちろん一人の学生の優先されるべき真っ当な理由だと理解しています)

 

でもその不安はきっと、客席から見た自分抜きのメンバーがステージを立つ姿を見て「もう戻れないかも」と思ったり、休業のことでメンバーと気まずくなったり*2、「中途半端に活動しないで」という声をファンから受けた阿部くん自身が一番感じていたかもしれない。ジャニーズJr.という未来に保証のないお仕事に休業直後宙ぶらりんになってしまったグループ、大学を受験するという人生における大きな過渡期、いろんな選択肢があったと思う。きっといっぱい悩んだ事だと思います。辛かったね。

 

その約一ヶ月後、SexyZoneがデビューした。ものすごく唐突なデビューだったのを今でも覚えている。メンバーは全員後輩だった。

その少しあとにnoon boyzが結成され、センター2人がいなくなった彼らは徐々に少年倶楽部にも雑誌にも呼ばれなくなり、果てにはグループ名も失いかけていた。

 

こんな事が立て続けに起きて、当時の彼らやファンにとってどれだけ絶望的であったことか。当時メンバーは18〜19歳、タレントである事を除いても、今後の自分の進路を意識し始める年頃だと思う。もしかしたら「退所」の文字が脳裏をよぎったかもしれない。

 

 

多分この2011年秋〜2012年春までの間がSnowManにとって一番危ない時期だったんだと思います。さっきもうダメなんじゃないかと思ってたと正直に書いてしまいましたが、自分がリアルタイムでその時期のSnowManを追っていたら、これからも応援し続けられるかと聞かれても断言出来なかったかもしれない。

 

今のSnowManがこうして存続しているのは、間違いなくこの時期に諦めずに事務所に所属し続けたメンバーと、それを支えていたファンの方々のおかげです。

この事だけはいつまでも胸に留めておかないといけないと自分では勝手に思ってます。

 

 

 

 

 

 

それから半年後、阿部くんが帰ってきた。帰ってきても休業前と同じ立ち位置に戻れる保証なんてなかったのに、ちゃんと帰ってきた。しかも上智大学の学生という「高学歴」の肩書きを身に付けて。渡辺担の友達が阿部くんのことをとても褒めていたのを覚えている。

 

 

これはあくまで私の予想だけど、阿部くんに自信をつけた最初のきっかけってもしかしてこれだったのかなと思っていて。歌声も比較的細くて、本人曰くダンスはフリ覚えが遅くて、って阿部くんが見つけた勉強という強み。そして何より「努力し続ける」という才能。それはいつしか「気象予報士の資格取得」「院卒」という2つのジュニアどころかジャニーズとして初めての引きの強い肩書きを阿部くんに与えていた。この肩書きは後にいろんなお仕事へと導いてくれるパスポートになった。

 

私が思うに阿部くんって結構頑固なんだと思う。それは本人も何かのインタビューで語っていた気がする。

基本的には温和な人だけど、自分がどうしても貫きたい事だけは譲らない人。それは大学受験での休業と大学院への進学の話を考えると、何となくそうなのかなという私の想像です。大学院の時なんて、学業と仕事の両立についてマネージャーと泣きながら話し合ったと雑誌で言っていた。そこまでしてどうしても、阿部くんは学びの道を諦めたくなかったしジャニーズも続けたかった。阿部くんのそのワガママは結果、アイドルとしてインテリと言う名の強い個性の武器になった。

 

 

 

一方グループとしても2012年5月の滝沢歌舞伎で6人はSnowManというグループ名を改めて授かり、滝沢歌舞伎にもほぼメインのキャストとして演目で重要な役を任せられるようになった。そのうちクリエやEXなど、他のジュニアのグループと同じように単独公演をやらせてもらえるようになった。

謎選抜とか色々あったしすのの中でも個人の推され具合に波があったけど、それでもSnowManとして6人はジャニーズJr.の中に存在していた。

 

一時期絶望的だったグループの存在は少しづつその形を確かなものにしていた。

 

 

 

 

 

2.私の見てきたSnowMan

 

私が阿部くんを応援し始めたのはその5年後の2017年春、歌舞伎を皮切りにあれよあれよと未開の地・ジャニーズJr.の沼へと足を踏み入れた。ここからの話は私が実際に見て感じていたこと。

 

 

 

クソ新規が何を偉そうにという感じだけど、本当に申し訳ないけれど、私が興味を持ち始めたちょうどその頃のSnowManは正直デビューは遠いグループだと思った。

歌もダンスも申し分なく公演も楽しく、目の前にある仕事をこなしていく分には充分すぎるくらいのスキルがあった。でもその先どうしたいのか、どうなりたいのかが全然見えなかった。良く言えば安定感は抜群で、逆に悪く言えば「現状維持」という言葉がしっくりきた。

 

 

滝沢歌舞伎でタッキーの後ろでバックをこなすSnowManはいつも真剣で、どことなく職人のようだなと思っていた。それ故なのか、「ここから這い上がりたい、状況を変えたい、売れたい」というギラギラ感はあまり感じなかった。SnowManとしての再結成から5年の月日が経ち、"デビュー"という現実に、少し目を背けているように思えた。

本人たちもファンも現状維持に幸せを感じていて、それはこれまですのが辿ってきた道のりを考えれば、グループ至上主義みたいになり始めたあの状況下では、現状だって充分彼らにもファンにも幸せな環境だったし、ジュニアという不安定な立場でそれを維持出来る事がどれだけ幸せかも、今なら痛いほどわかる。昔からSnowManを見てきた方々にとっては尚更そう感じたと思う。今この瞬間は確かにすごく楽しい。だけど、その先は?

 

急に外から乱入してきた新規はほんの当時ちょっと、ちょっとだけ思っていた。残酷な事にそれを願う事は美しいとされても、永遠という概念はこの世に、特にエンターテイメントの世界においては存在し得ないじゃないですか。

この時はSnowManもメンバーももちろん嫌いじゃないけど、どちらかと言うと阿部くん単体を見るために現場に通っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな印象に変化をもたらしたのが昨年2018年のサマパラだった。

 

 

 

なんかす〜〜〜〜〜〜ごい、す〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ごい楽しくて!!

 

TDCでの単独公演が初めてだったからか、セトリが良かったのか、衣装が良かったのか、ビジュアルが良かったのか、わからないけどあの夏見たSnowManの公演は見えるもの全てがキラキラしてた。

魅せる、聞かせる、笑わせる、楽しませるのバランスが絶妙で、いいじゃんSnowMan!って応援してから一番強く思えた。他担の友達に見に来てもらいたかった。暑くて大嫌いな夏が少し好きになれた。公演後に噂の庄やで飲んだお酒が本当に美味しくて、そこにいたヲタクが超愉快で最高だった。(あのとき写真撮るためだけに全員分のアクスタ貸してくれた愉快で心優しいヲタクの皆様本当にありがとうございました)

 

中でも一番嬉しかったのがオーラス公演のWアンコで岩本くんが「デビューしたい」と口にしたことだった。それは個人としてだけの言葉ではなく、確実に「グループの意思」としての言葉で、それを口にしたSnowManはしゃんと胸を張って真っ直ぐ前を向いていた。自信に満ちていてあまりにも眩しかった。

嬉しかった。嬉しくて確かちょっと泣いた。それを堂々と口に出来るほど本人達に自信が付いたのかなとも思ったし、そう思えるほどいい公演だった。

 

何がきっかけなのかは今でもわからないけれど、現状維持が攻めに切り替わったのを感じた。あの夏6人は確かに全員前を向いていた。

 

 

グループの魅力を再確認出来てから、彼らの事が、SnowManのことがとても大好きになった。秋にはそれぞれ個人での仕事も決まり、それぞれの経験を持ち帰ってさらに大きくなったSnowManの今後が本当に楽しみだった。長年に渡って出演していた滝沢歌舞伎のメインにも抜擢された。

阿部くんがこのグループで良かったって心から思った。この6人でいい、この6人がいい。この6人ならもしかして、デビュー出来るかもしれないと心の片隅で思っていた。応援していて初めてそう思った。

 

あとすの担って割と内向的なイメージがあったけど(その雰囲気もそれはそれで好きだった)、客層がちょっと変わってきたなと思ったのもこのタイミングだった。去年のクリエと比べて歓声の大きさが全然違った。数字とか公式への反応の多さとか、そういうのを積極的にやる人がこの1年でぐっと増えたように感じていた。*3

 

グループとしての実力、ファンの熱度、そして本人たちの意思。全てが少しずつ、整い始めたと思った。

 

 

 

個人としてもNHKの番組に一人で呼ばれたり、進学誌の雑誌の表紙を飾ったり*4、2017年頭に阿部くんが雑誌で述べていた目標「クイズ番組に出る」という夢がその年の9月にスルッと叶ったりと、まさしく順風満帆だった。

初めて出演したミラクル9は正解を連発しCM跨ぎまで獲得するという大活躍、番組中では「ジャニーズ初の院生・合格率4%の気象予報士の資格獲得」という肩書きで紹介してもらい、かなりクローズアップして貰っていたと思う。それから定期的に呼んでもらえるようにもなった。カズレーザーさん主催のクイズの勉強会にも参加して、事務所以外での交友関係も広まった。テレ朝に足向けて寝れないし、どうしたら部外者がテレ朝に直に納金出来るのか真剣に悩んでいます。株を買えばいいですかね。

 

ジャニーズJr.でも個人仕事は貰えるけど、阿部くんのそれは自分の力、少なくとも"阿部くんが努力して得た肩書きが通用する"場でのお仕事だったので、結果として努力が身を結んだ事が何より嬉しかった。

 

私より長く阿部くんを見ている方のブログなどを拝見していて思うのが、今こそ目標をハッキリと口に出すようになった阿部くんだけど、昔は周りを優先しがちであまり前に前にってグイグイ出来なかったんだろうなということ。

元々の性格を考えると、確かにあんまり自分の事をアピールするのは得意な方じゃないのかなとも思う。そんな阿部くんがここまで、自分の夢や目標を堂々と口に出来るようになったのは、やっぱり大学受験で一度身に付いた自信が作用してるのかな、と。

何かを成し遂げた結果って本当に大事で、実績を伴った自信は確実にその人を輝かせる。そしてそれは目に見える。

 

立ち位置はいつも端か後列、当時すのの中でも名前順が一番最後だった阿部くんは、個人で戦える鋭い刃を密かに研ぎ続けていたのだ。

 

 

そして阿部くんは個人なりバックなり、何かしらのお仕事が決まる度にいつも「次はSnowManとして」「グループとして」と口にしてくれていた。自分だけでなくグループとして売れる事をいつも望んでいた。それはきっと入所してなかなか仕事を貰えていなかった阿部くんを救ってくれたグループだからこそ、休業していた自分を受け入れてくれたメンバーだからこそ、強い思い入れがあったのかもしれない。

 

 

 

3.SnowMan 第2章

 

年始早々、例の日はあまりに唐突にやってきた。 

 

1月17日の朝はたまたま起きるのが遅くて、いつもは起きてすぐチェックするスマホを身支度をしながら開いたら地球が5周くらい回っていた。今見てはいけないと思い画面を閉じて家を出た。英断だったと思う。

 

会社に向かう電車の中でゆっくりと未読のTLを消化した。加入したのは関西ジャニーズJr.の向井康二宇宙Six目黒蓮、そして少年忍者の村上真都ラウールであること。目黒くんは宇宙との兼任、ラウールくんに関しては15歳の中学生であること。本当に必要最低限の事しか報じられていなかった。向井くんはあけおめでの号泣で関西担がかなりザワザワしていたのが記憶に新しく、これにすぐに結びついた。

 

 誰もが動揺していた。

 

私は加入した誰かが嫌いとかそういうのでは全くなくて、むしろ誰だって悪くなくて、メンバーが減ってこのままどうなるのかわからないところを乗り越えて何年も何年もジュニアとして頑張ってきた6人が「それじゃ足りない、デビュー出来ない」と遠回しに言われてるような気がして、それがすごく悲しかった。サマパラでグループの魅力を感じていただけに流石に応えた。これまで6人とファンで積み上げてきた長い時間は何だったんだよ、って。

 ふと気になって、向井くん*5のことをツイッターで検索した。私たちと同じように皆動揺し、「関西が大好きで、そこで頑張っていた彼が好きだったのに」「今の関ジュを引っ張ってきたのは康二だったのに」そんなことが書かれていた。加入される6人のファンと同じように、加入する3人のファンにだってそれぞれの葛藤があった。

 

あまりの現場や露出の多さに私は自分が応援しているのは将来が確約されていないジャニーズJr.であることをすっかり忘れていた。

そうだった。彼らはあくまで「ジャニーズJr.」なんだ。考えてみればこんなこと、別のグループで過去にいくらでもあったじゃないか。

現実と言う名の右ストレートをヘラヘラした顔面にキメられた気分だった。でもやっぱり理不尽だと思わざるを得なかった。

 

 

 それでも一応実物を見ないことに文句は言えないと腹を括って向かった南座での滝沢歌舞伎。1列目、センターに立って歌うSnowManは紛うことない決意を感じる風格で、あまりにもその眼差しは真っ直ぐで、何と言えばいいのか、強かった。凄く。

 

9人体制の正式なお披露目となった横浜アリーナでのコンサートを見て思ったのは、元来のSnowManメンバーである6人の器の大きさだった。

確かにパフォーマンスや立ち位置やMCの回し方とか、変わったことは沢山あった。それでも私が今の形のSnowManを比較的すんなり受け入れられたのは、そもそものSnowManの雰囲気が大きく変わらなかったからだと思う。6人が3人を受け入れ、認め、フォローしつつきちんと自分の見せ場も大事にしていて、すごく立ち振る舞いが大人だったんです。その器量の大きさは、6人で頑張ってきたこれまでの時間をきちんと証明するものだったから、今までのことはちゃんと無駄じゃなかったんだって思えて、そんな6人のことが私はもっともっと大好きになった。

もちろんそれだけじゃない。既存の他グループとの兼任も、先陣を切ってきた関西を離れての関東への移籍も、チビジュ括り*6からの先輩グループへの唐突な抜擢も、どれを取っても向かい風が強いであろう複雑な立場を承知してSnowManに加入してくれた3人のパフォーマンスからは、きちんと誠意を感じられた。

Jr.が与えられた環境や指示に背くことなんてほぼ不可能だと思う。きっと何かを自分で選ぶ事は出来ない。それでもあくまで"自分達の意思"として9人はSnowManを守ってくれた。なんかもう、それだけで十分じゃないか。

 

 何より阿部くんが大事に思うグループが、形は違えどもこうして存続してくれて良かった。どんな環境であれ、阿部くんがそこで最大限幸せでいてくれたら、心から笑っていてくれたら、それ以上望む事なんて何にもないよ。

 

 

もう今のSnowManにMis Snow Manの面影も、6人時代のSnowManの面影もない。「今が最高」と思う瞬間は加入組含めてそれぞれのファンにとってあっていいと思う。それを今でも懐かしんだり、あの時楽しかったよね、良かったよねって振り返るのも全然悪い事なんかじゃない。それはこれからもそっと青春の小箱に詰めて、美しい想い出として大事に取っておきましょう。

 

そしてそういう瞬間を今のSnowManが増やしていってくれたら、お互いこんな嬉しい事はないんじゃないかな。

 

私はこれからのSnowManにも、そんな瞬間が訪れる事を信じたい。信じてる。

 

 

 

 

 

 

以降SnowManはまさに破竹の快進撃でその名を広めていった。

 あれよあれよと決まる地上波に雑誌の表紙、CMキャラクターの就任、ドラマへの出演やレギュラーの獲得など、毎日毎日何かしら仕事が決まった情報が流れてきて追いきれないくらいだった。先輩のバックについた公演がWSで放送されているのを必死で探してた数年前では信じられない日々で、まさしく"推されて"いた。それもうちょっと前から出来なかったのかよと思いつつ、いつの日にか阿部くんの言っていた「毎日テレビを付けたらSnowManの誰かしらが出てて、それを見るのが夢」という言葉を思い出した。

 

 

 阿部くんの言動はいつだって前向きで、そしてその夢はちゃんと叶っていた。誰かが夢を叶えていく姿をこの目で見守れるのはこんなにも幸せなんだと教えてくれたのは、いつだって阿部くんだった。

それはいつからか阿部くんが定期的に口にしていた「SnowManでデビューしたい」という夢の輪郭を少しずつ明確なものへと近づけていった。

 

 

4.迎えたその日 

 

2019年8月8日。

 

19年振りのジャニーズJr.の単独の東京ドーム公演はSnowManと、同じく後にデビューを発表するSixTonesの扱いが良かったこと(グループで歌う曲数が他より多く、演出も凝っていた)、2グループの名前の入った背景の会見セットが用意されていたこと、ここ半年間の激推され具合に過剰な期待は厳禁だけどそれでもなんとなくデビューの匂いを感じつつ、ちょっと緊張しながらペンライトを振っていた。

 

そしてMCで各グループのお仕事の発表や告知。各自発表後にはステージ上から捌けていき、最後にすのすとが残った。諸々の発表が終わってもSnowManはそこから捌けなかった。この時点で予感は確信へとじわじわ形を変えていった。

全ての告知を終え、ジェシーの「僕たちから皆さんへお話があります」の一言で暗転するドーム。場内の不安と期待は最高潮だった。1人ずつアップで抜かれたメンバーの面持ちは堅く、これから発表される内容の重大さを物語っていた。

 

スクリーンにでかでかと、それぞれの所属レーベルと共に2グループのCDデビューの文字が浮かぶと、東京ドームはその日最大の歓声と悲鳴があがった。

決意を固めた彼らの眼差しのあまりに真っ直ぐなこと、美しかった。

 

ほのかに予想はしていたものの、いざ発表された瞬間わあっと泣き崩れてしゃがみ込んでしまった。ほぼ条件反射みたいなものだった。現場だからといつもより比較的まともに化粧した顔をぐしゃぐしゃにして膝を折っていい大人がわんわんと泣いた。泣きすぎて片目のカラコン落としてどっかいった。

お祝いの花束を渡され、天に拳を突き上げる阿部くん、今まで見てきた中で多分一番かっこよかったなあ

 

現場で文字通りの号泣をするのは2回目で、前はぽろぽろと溢れる涙が全然止まらなくて結果として号泣した、って感じだったけど、今回は明確な嬉し泣きで、なんかもう初っ端からフルスロットルで勝手に涙が出てきた。自分の感情スイッチと涙腺が直結していて、トイレで「流す」ボタン押したら水が一斉に沸いて出て流れるあの感じに似てる(最低の例え)

 

人間、膝から崩れ落ちることって本当にあるんです。しかも嬉し泣き、ましてや他人の人生に関することで。アイドルってすごいよ。

 

15年粘って耐えてひたむきに前を向いて阿部くんが撒き続けた種は宣言通り、ちゃんと大きな花を咲かせてくれた。また一つ夢を叶えてみせた。人生において15年間同じ目標に向かって走り続ける道の、どれだけ長く険しかったことか。花が咲くその瞬間互いに共有出来る、誰かを応援していてこんな幸せが他にあるのだろうか。

 

こうして書き起こしてみると私はそのほんの一部分の、気流に乗り始めた都合の良いタイミングでファンを名乗り始めたなって勝手に申し訳なくなるんだけど、そのかわりこれからもまだまだ応援していきたいと思いました。

 

 

 

 

今年のサマパラの感想に私はこんなツイートを残していた。

 

後日新聞で本人達にデビューが通達されたのは6/28だったと報じられていたので、私があの時見ていた彼らの背中はデビューの発表を内に秘めた状態だった事がわかった。自信に満ちた広く大きな背中だった。目に見えるんです、やっぱり伝わってくるんです本人の自信って。

 

 

 

 

 

ここ最近のジャニーズJr.の扱いの良さを見ていて、CDデビューという概念が今後も存在し得るのかずっと疑問だった。

 

今やほとんどのグループが単独公演を行えて、YouTubeや Island TV、もはやデビュー組と同じかそれ以上にタレントを知る機会を与えられていた。メディアの力というものは本当に侮れないもので、周りのデビュー組のファンの友人もジュニアに興味を持つ人は圧倒的に増えた。需要と供給は右肩上がり、バックがメインだったジャニーズJr.の概念はここ数年で「ジャニーズJr.」という一つのブランドへと姿を変えていた。雑誌を開けばグループとしての単独ページがあり、うちわもオリジナル曲も自分たちのための衣装だって用意されている。*7

ジャニーズJr.とデビュー組の境界はほぼないに等しくなっていた。

 

 

だけどやっぱり先輩がこれまで出してきたCDを聴いて育ち、いつか自分のCDが店頭に並ぶ事を夢見て活動してきたジャニーズJr.のとしてのゴールの1つはCDデビューであって欲しいと、実際にデビューが決まった今強く思いました。*8大人が本気で号泣するほど嬉しかったんだもの、やっぱり。

 

 

 

 

彼らはこれからもっと遠くの大きな海へ航海に出る。「離れていって、遠くへいってしまって寂しい」その気持ちは私も強く否定できない。ジュニア担なら大体がそう感じると思う。

それでも追いかけたいと思わせてくれるような、魅力あるアイドルになって下さい。より多くの人を魅了して下さい。

こう書いちゃうと、ちょっとヲタクのエゴみたいかなあ。でもSnowManなら出来るし、なれるよ。

 

 

そして何はともあれ、誰に何と言われようと、デビューを掴んだ事も阿部くんの夢が叶ったことも事実だから、どうか堂々として欲しい。胸を張って欲しい。

 

 

 

デビューというのは歴代いつだって全ての人に祝福されるものではなかった。それは今回だって例外ではない。

いろんな人がいろんな思いでタレントの事を応援しているから、こればかりは難しいし、その時抱いた感情は決して否定せず、それぞれ尊重されるべき大切な気持ちだと思います。(偉そうに聞こえてしまったらごめんなさい)

だからせめて伝えられるだけの、持ち合わせられるだけの言葉で彼らに餞の言葉を送りたくて、私は今このブログを書いている。

SnowManのこれからの旅路に、どうか幸多き事を祈って。

 

 

 

 

 

さあ今こそ出航の号令。デビューおめでとう!!! 

 

 

 

 

 

〜Special Thanks〜

この記事を書くにあたって校閲を引き受けてくれたお友達、わからない事を丁寧に教えてくれたお友達、本当にありがとうございました。他人の自己満1万字セルフインタビュー読まされるのかなり苦行だったと思うんだけど、快く引き受けてくれた上に感想まで頂いてしまって恐縮です。 またオネシャス

*1:掛け持ち先です。KinKi Kidsはいいぞ

*2:後に滝チャンネルにて腹割って話して和解してます。以降プライベートで遊んだり、じわじわと雪解けしていった話を聞いてから、だてあべで話してるの見ると、当時のことを見てなくても勝手になんだかしみじみしてしまいます。阿部くん結構宮舘くんの事大好きと言うか慕ってる感じがする。あの雪解け滝チャン、阿部担として見ておきたかったな〜

*3:これは本当に本当に大事なのでデビューが決まった今こそ、ファンが一番一生懸命やるべき事だと思う。数字・公式・マジ大事(韻)

*4:第1号はのえるくん

*5:余力のある方はROT関ジュ回を是非見て頂きたいです。彼がどんな覚悟で関東へ移籍してくれたのかが痛いほど伝わってきます。FODで1ヶ月無料で見れます。すの回もあるよ!

*6:ご本人はチビではない(物理)

*7:あくまでグループを組んでいるJr.の話です。こうなってしまった以上、無所属の子が日の目を見るチャンスがもっと増えてくれたらいいな

*8:矛盾すぎるけどCDデビューだけじゃない、いろんなベクトルのゴールがあれば、事務所としての幅の広がっていいよなとも思ってます。正解は絶対1つではないよ